メモリアルダイアリー

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自分が特撮番組を見たときの気持ちや、日々の生活の中で感じたことを自由気ままに綴ろうと思います。

Vシネマ 「仮面ライダークローズ」ビルド信者が語る賛否のあるストーリー

先日、何度目かのVシネマ仮面ライダークローズ」を観賞した。

 

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このVシネマ仮面ライダービルドの最終回で新世界をつくりあげ、天才物理学者の桐生戦兎と筋肉バカ改め「プロテインの貴公子」万丈龍我の2人だけが前世界の記憶を持った世界での出来事である。

昨今の仮面ライダーはこのようにVシネマや小説、最終回後の冬映画等で「その後」の物語が紡がれるのが定石である。

 

さて、今回の「仮面ライダークローズ」だが、twitter等で賛否がものすごく分かれた作品である。これは一言でいうと公式側と視聴者側の「解釈違い」が起こしたものだろう。ビルドのプロデューサーである大森敬仁氏は続編で本編時敵だった存在を味方として登場させるやり方が多いように感じる。ドライブのVシネマである「仮面ライダーハート」やエグゼイドの時の「檀政宗」など往々にしてラスボスが続編で蘇っているのだ。

 

そして今回もそのプロットが採用され、「エボルト」というビルド内において諸悪の根源であり、多大な犠牲を払いつつも新世界を創造しなければ倒せないという程の敵を「仲間」とまではいかないが人類側の存在として復活させるというものだ。また、エボルトを出すためには関係性があるキャラを出す必要がある。それがキルバス(エボルトの実の兄)である。

 

また、このリセットされた世界の中で戦兎と龍我しか記憶がない。というのがビルド本編最大の「エモ」である。しかし、キャラクター人気がものすごく高いビルドにおいて、ヒゲポテコンビや、みそさわコンビを登場させないわけにもいかない。つまりビルド本編が創り上げた「記憶のない世界」で「二人だけが記憶を持つ」というエモさを作り手の手で壊さなければ続編を描くことができないという二律背反、アンビバレント的なものになってしまうのだ。「ビルド」は「続編」というものとすこぶる相性が悪いのだ。

 

と、ここまでは批判的に描いたが私はこの作品が大好きである。

私自身がビルド信者というのももちろんある。だが、新世界で新たに暮らしていく戦兎と龍我の話であったり、みんなの記憶が戻ることで戦兎はもう一度「家族」を手に入れることができるからである。

 

作品の話の軸としてはビルド本編から続く「戦争」を根底に「ヒーローに守られなかった人物」を登場させ、すべてが丸く収まったわけではないということが描かれている。

この作品の主役、万丈は「筋肉馬鹿で単細胞でプロテインの貴公子」だ。単純に熱く、仲間思いで、ただまっすぐに熱い男である。そんな男が仮面ライダーとなり、必死に戦っていた中で救えなかった人たちに正面から「仮面ライダーが人を救ってくれるなんて二度と思わない」と言われてしまう。

しかし、万丈はそのことをしっかりと受け止め、自らの不甲斐なさ、目の前のことに集中するあまり、周りが見えていなかった自分の視野の狭さetc、、を再確認し、正直に謝る。こういう描き方はきっと「自意識過剰でナルシスト」の戦兎ではできないし、万丈だからこそのストーリーラインである。

 

また、自身の親が殺されたのはエボルトのせいであるということも判明しするが、そのエボルトとタッグを組むということをすぐに納得できる懐の深さも万丈ならではだと思う。

 

万丈というキャラクターは「自分自身のため」にヒーローとして戦ってきた存在である。平ジェネFAINALで「自分を信じてくれる人のために戦う」と決意を新たにしたが、それはやはり自分のために他ならない。

その万丈がこの作品の最終盤、本編で相棒に背中を預け、預けられて戦ってきて桐生戦兎という人間の生き様、アイデンティティーを知り万丈龍我の「ヒーロー」から「愛と平和を胸に生き、誰かのために戦うことの強さ」を教わっていたということを叫び、今作の敵を倒す。

万丈は本編、冬映画を通じ「成長」が何度も描かれてきたキャラである。その万丈がついに桐生戦兎と同じ思い、同じ正義で戦っているということが知れる。

また、エボルトも「人間だから勝てた」というセリフがある。

エボルト役の前川さんがトークショーでおっしゃていたが「エボルトは人間を愛してた。人間を面白いと思った時点で負けていた。」と言っておりキルバスにもそのことをいうのだ。

 

自分自身が負けた人間だからこそその強さを信じているというか、、といった形である。

 

この作品の最後エボルトは、新世界から消えどこかの星へ旅立つ。ここが一番文句を言われているとこだろう。エボルトを倒すために新世界を創造したにもかかわらず、キルバスという敵を倒すために復活させ、対策もなしに野放しなのだから。

 

この展開に対し「本編でやってきたことが台無し」「新世界を作った意味がない」という意見をよく目にした。が、本当にそうなのだろうか?

「新世界を創造したから仲間やロストスマッシュの被験者を復活させることができた」「エボルトの力がなければキルバスは倒せなかった」のではないか?

「無駄だ」と切り捨てるのは早計なのではないかといまだに思う。

 

また、戦兎が「この世界に仮面ライダーは必要ない」というシーンがあり、最期に「ロススマッシュの被験者の後遺症を治したというセリフがあり、それを受けて美空が「仮面ライダーはやっぱり必要」というカットがある。

 

ここに関しても否の意見が多くてびっくりした覚えがある。戦兎が放った言葉は「兵器」としての意味での仮面ライダーである。本編からずっと兵器利用のため、戦争のために使われてきたライダーシステムの力だったのだから。本編はそんな力だとわかりつつ、正義のためのシステムだと戦兎はたびたび鼓舞していた。

 

だが、このラストでは「誰かを救う」ための仮面ライダーという意味なのでは、、みんなどうしたんだ、、と困惑した。

万丈に新彼女ができることも「新世界」紡いでいく話の一つである。それを受け入れられるか、受け入れられないかというのは難しいところであり、制作側もすべて受け入れられる作品作りにできていたのかというと不完全だっただろう。

 

あまりに本編がきれいに着地しすぎたことによる続編が受け入れられがたいという、そういう作品となってしまったのは事実である。

 

それでもこの「仮面ライダークローズ」を私は大好きだし、何回でも見たいと思える作品であった。

 

Vシネクストの第二弾、仮面ライダーグリスがどのような終わりを告げるのか、ものすごく楽しみである。