メモリアルダイアリー

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自分が特撮番組を見たときの気持ちや、日々の生活の中で感じたことを自由気ままに綴ろうと思います。

感想 『最強の二人』改めて観る差別を超えた関係性

『最強の二人』、この映画は私が高校生の頃学校で観た初めてのフランス映画だった。

そのころ、私は15歳~17歳で恥ずかしながら擦れている時であった。学校で教師たち大人から観ろと言われて大きな講堂でこの映画を観たことをはっきりと覚えている。

だが、あまりの面白さに画面に釘付けになりそのまま観終わった。

 そんな一本を今日、ふと思って見返した。Amazonprimeさんには頭が上がらない。

 

最強のふたり (字幕版)

最強のふたり (字幕版)

最強のふたり (字幕版)

 

 『最強の二人』はフランスで2011年に上映され、一年後の2012年に日本でも上映されたヒューマンコメディドラマであり、実話をもとに製作された映画である。

 

パリがを舞台に大富豪でありながらある事故が原因で頚髄損傷を起こし、首から下が間隔麻痺している「フィリップ」とスラム街出身で移民黒人の「ドリス」のまさに正反対の二人が交わって、、、という話である。

フランスでは移民の社会差別が起きな問題となっていたり、社会風刺的な側面も大きく持つ作品だ。 

 

この映画全編を通して描かれるのがフィリップとドリスの軽快な会話劇、ドリスのブラックジョークなどだ。障碍者障碍者として扱わず、一人の人間として扱うドリスにフィリップは心を開いていく。富豪であり、障碍者で堅物なフィリップは対等な立場で接してもらえる人がおらず、孤独の中にいた。

 

それを取り払い、障碍者や健常者などどうでもよいドリスが「健常者専用のチョコレート」と言うどぎついギャグを飛ばすこともあれば、車の後ろに車いすごとフィリップを乗せることを「馬みたいに乗せるなんてありえない」というようなことを言う。ドリスには障碍者障碍者としてみていないというシーンが随所に挟まれる。それが心地いい。

 

昨今は感動ポルノというワードも多く、障碍者障碍者として扱い、健常者より一段落下のような見方をし、それでも健常者のように頑張る、というような形で『感動』を売りにしていることが多々ある。

 

私は大学時代社会学を専攻していてこの感動ポルノの問題や、社会差別についても色々勉強した。むしろこの映画を高校生の時に観たことで無意識下に差別問題や障害について興味を持ち、それを専攻したのかもしれない。

とまぁそんなことは置いといて…

 

冒頭から流れるこの曲がものすごく良い。また、劇中で流れるショパン等曲のチョイスがすごく光っているのだ。心地よく耳に流れ、二人の物語がどんな風になるのか期待を抱かずにはいられなくなる。

 

 障害を持ったとしてもその人自身は自分を忌まわしい、さみしい存在だとは思わず、むしろ受け入れて前に進んでいる人も多数いるのではないか。むしろ障害があるから…というレッテルは健常者が勝手に貼っているものである。この映画はそんなことは感じさせず、対等な人間同士の友情を育むのである。

 

映画としてはものすごい転のシーンがあることもないし、なにかが大きく変わることもない。日常が非日常になるわけでもない。誰もが暮らしている一日にほんの少しエッセンスが加わるのだ。

 

感動ももちろんある。フィリップとドリスの関係が変わっていき、親友としての助言をするところやラストシーン、二人きりのドライブのシーンなど多くあるがそのどれもがフィリップの障害とは絡めていない。普通の人間が普通に人生を過ごしているシーンなのである。

 

この二人の実在のモデルは10年以上親交を続けており、今も仲は続いているみたいである。それほど長く親しくできる友人を私も一人は欲しいくらいだ。

 

正反対の二人が誰よりも普遍的な「人間」らしく「対等」な立場で物語が進む、だからこそ名作になったのだろう。一度は観た人もまた見てほしいし、観ていない方もこれを機に観てほしい。私はこれを機に洋画も見るようになった。まさに私の中の転換期の一本である。心がすっきりするさわやかな映画だ。