感想『HELLOWORLD』世界を変えるほどの愛を貫く意思の先
三日間ほど、ブログ更新をしていなかった。幾ばくかの時間とインプットのための情報収集。とまぁ理由をかっこよく上げようと思えば上げられるんですけどぶっちゃけ関西から関東にいったり、もどったりをこの短期間でしていて疲れていたんですね。
私の話はここらへんで終わって本題。
世界を巻き込んだボーイ・ミーツ・ガールな映画『HELLO WORLD』を今日鑑賞してきまして。その感想を。
前半はネタバレなしで、後半は本編にも足を踏み込んで述べていきたいと思う。
あらすじ
「お前は今日から3ヶ月後、一行瑠璃と恋人同士になる」
京都に暮らす内気な男子高校生・直実(北村匠海)の前に、10年後の未来から来た自分を名乗る青年・ナオミ(松坂桃李)が突然現れる。
ナオミによれば、同級生の瑠璃(浜辺美波)は直実と結ばれるが、その後事故によって命を落としてしまうと言う。
「頼む、力を貸してくれ。」彼女を救う為、大人になった自分自身を「先生」と呼ぶ、奇妙なバディが誕生する。
しかしその中で直実は、瑠璃に迫る運命、ナオミの真の目的、そしてこの現実世界に隠された大いなる秘密を知ることになる。
世界がひっくり返る、新機軸のハイスピードSF青春ラブストーリー。
:HELLO WORLDの世界観とビジュアル
2019年はアニメ映画が豊富で、青春物からセカイ系までいろいろなものが展開された。今年の代表的なものと言えば深海 誠監督の『天気の子』が挙げられるだろう。『君の名は。』に続くRAD WIMPSの起用、深海誠お得意の雨、水の表現などふんだんに使われ、かつ「世界」と「愛」の選択を迫る一作だ。
それに対して本作『HELLO WORLD』は予告からはそれらに付随するような恋愛青春映画かと思っていた。私は監督が『ソードアート・オンライン』の監督だということも知らなければ、SFに力を入れる監督ということも知らなかった。
知っていたのはOKAMOTO`SとOfficial髭男dismの2グループが音楽面を担当するということだけだった。『天気の子』がRAD WIMPSの起用に対し、昨今爆発的に人気を上げている髭男の起用かな、くらいにしか認知していなった。
そんな私が本作を観たくなった理由は予告でも明かされている「僕らは、現実世界の記録だった。」という一文である。たったこの一文。これだけで心が揺れるほど私はカモである。
CMから見える『天気の子』とは違う絵の奇麗さ。そして京都の街並みを美しく描き出した世界観。何回見ても違和感が拭えない3DCGのビジュアルも、データの世界としてみると案外ハマっている。
『天気の子』『君の名は。』が「東京」に対し、今作は「京都」といったところもわざと意識しているのだろう。今作はあらゆる場面でいろんなSF作品を意識しているところがある。SFオタクが見にいってもすごく楽しめるのではないかと思う。
:各キャラの声
本作は北村 匠海や松坂 桃李、浜辺 美波等が名前を連ね、世界を彩った。俳優が声を担当すると違和感があったり、棒読みだなぁと感じることも多々あるが本作はそんなことは思わなかった。
松坂 桃李は『侍戦隊シンケンジャー』で鍛えられたであろうアフレコに、北村 匠海は初挑戦ということだったが気弱な男の子を表現できていたように思う。ヒロインであり、物語のカギを握る「一行 瑠璃」を演じた浜辺 美波も悪くなかった。
これは一行 瑠璃というキャラクターが物静かで抑揚の少ないキャラだったということも手伝っているのかもしれないが、いくつかの演じ分けもあったので気にするほどはなかった。
:選曲と映画としてのチョイス
この作品、何度も上がっているが『天気の子』『君の名は。』のように挿入歌を前面に絵だけで日常を描くというシーンがある。私は、新海誠のあの演出が良くも悪くもアーティストのMVに思えてしまう。正確にはMVのための映画に見える時があるのだ。
確かに絵はきれいだし、描写も丁寧、そして私たちが日々過ごす普遍的な生活。それらをバックに軽快に流れる音楽、というシーンはおしゃれで10~20代前半の大人になりかけている人たちにとってすごく素敵なヴィジョンのように見える。
そして新海誠作品ではそれが顕著で、1つの映画に何度も挟まる。『天気の子』は良くも悪くもRAD WIMPSのPV感もすごかった。今作もofficial髭男dismの『イエスタデイ』を前面に主人公の日常や、「先生」との出会いから変化していく様が描かれた。
しかし、私は新海誠味を感じながらもMV感は感じなかった。何の差だろうか、と模索した結果。
曲の短さや、それらの曲の最中でも生活音が入っていたりしたからなのではないかと考えた。『イエスタデイ』は驚くほど短く、CMのほうが長いまであったし、使われたところも1回と少なかった。(アコースティック版が流れているシーンもあったように思えるが)
『天気の子』は劇中で同じ曲をバックにキャラクターが駆け巡る様子を2回ほど、そして別の曲で1回とどうしてもMV感が強くなりがちだった。
今回、official髭男dismという人気爆発なアーティストを起用していながら劇中歌かつ使用時間はほんのわずかと思い切ったことをしている。その短さだからこそ耳に残るというのもあるが。
対して、エンディングのOKAMOTO`Sの「新世界」。こちらはすごくさわやかでかつすっきり爽快感のある楽曲に仕上がっており、聞き心地が良い。
HELLO WORLDは話が少々難しく、観終わっても何度か咀嚼し、自分の中に落とし込む作業が必要なタイプの映画だとは思うが、この曲が最後に流れてきたとき「何かよくわからないけど、すごくいいものを観た」という気分になった。
この「何かわからないけど、良い」という感覚を私はすごく大事にしていて。そしてそういう気持ちにさせてくれる作品、楽曲というのもすごい力があるということなんだなと。
本作は観終わってからも誰かと考察をしたり、こういうことなんじゃないのか?など意見交換が楽しくなる作品なのは間違いない。
が、そういった作品は往々にして難しく、複雑な世界観で描かれていることが多い。中学生がデートにこの映画を観ると出てから「?」が浮かびまくると思った。
それくらい複雑で、初見ですべてがわかる人は少ないのではないかと思う。そういった面でもこの映画は万人受けはしない。が、万人受けしない作品は刺さる人には刺さり、長く愛される作品になることが多い。本作は後者の物だろう。CMから『君の名は。』『天気の子』の二番煎じと思わずに観に行ってほしい一作だ。
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ここからはネタバレありで述べていきます。
本作序盤、主人公の堅書 直実は決断力がなく、学校の中でも本ばかり読みクラスメイトから遊びに誘われても、「行く」「行かない」の返事すら迷ってしまうタイプとして描写されていた。クラス委員も周りの視線に負け、意見を言うことなく図書委員に選ばれてしまう。
いつも直己が読んでいる本は「決断力」を養うといういかにもな本である。
気弱で、高校という社会になじめずそういう本に頼る、ちょっとくらいそういう経験はだれしもあるのではないのだろうか。思春期特有のある種の「悩み」というか。
そこにヒロインとの邂逅、接触、文通、恋心、その子の死。そして「先生」との出会い。この世界の「秘密」。「アルタナ」と呼ばれる無限量子記憶領域。それらがポンポンと観ているものの脳に流されていく。
この映画の良い所は序盤にそれらの話をテンポよく小刻みに進ませていくところである。さながら10分の短編をいくつもつなげているかのような小刻みさ。
それでいて後々つながる伏線や描写もあり、繋がりがあるのに短編を見ているような錯覚を起こす。
また、わたしが驚いたのは恋愛映画感が薄く、「先生」との特訓のシーンが多く配置されているところだった。何かをなすために「努力」をする。それらはすべて瑠璃のため、とつながっていく。私はここで、「ああこれは恋愛映画だけど普通の恋愛映画ではない、むしろ恋愛という要素はミスリード」とまで思った。
努力による成長で序盤の気弱な直実はいなくなり、男らしく、優しい直実が形成されていく。
私たちも思春期の頃に付き合った人に対して色々悩んだり、手を伸ばすことができるのであればなんでもする、そういった気持ちが呼び起こされる。懐かしさと同時に。
が、その世界は優しくない。二人が仲を深めていくと同時に「先生」が過去に来た目的の日が近づく。そして「先生」の目的。涙のわけ。夏の一大イベントの花火大会の夜空の下のキス。システムエラーによる排除のスタート。
「先生」の目的と、花火大会を皮切りに前半ばらまかれた伏線はものすごい速さで回収されていく。
ここで、「先生」が過去に来た目的、そして直実がしてきた「特訓」の成果が華開く。
直実は瑠璃への愛で彼女を死から救う。そんな姿を見ていた「先生」は彼女を利用する。自身の目的のために。最愛の人に会うために…
「先生」の目的のために直実の愛をつぶして構わないのか。そこに罪悪感はないのか。データはしょせんデータでしかなく、修正がきくものだからなのか。直実と一緒に「先生」への信頼感が募ってきたところにこの展開は辛いものがあった。
そんな思いがわたしの頭を交錯しながら、それでも場面はさらに悪化していく。
狐面を被った自動修復システムが瑠璃を探す。「先生」の目的のためにデータの欠陥となった瑠璃は修復対象なのだ。
狐面が「修復システム」であるならば、それに抗う直実はさながら「バグ」というところか。
それらの後、逃走劇と共に「先生」の謎や世界の構造、「アルタナ」の暴走など各要素の点と点が繋がり、線となる。
世界がデータなのか、現実なのかも不鮮明に描かれており、観ているとき、今はデータの世界なのか、現実世界なのかわからなくなる。恋愛映画だと思っていたものがよもやここまでSFよりな、そして考えさせられる映画だとは思わなかった。
最終盤、直実と瑠璃は新世界の「アダム」と「イブ」のようにその地に立つ。
自分たちの知らない京都を前に、再び出会えた直実と瑠璃は手をつなぎ、その世界で生きていくことを誓う。
今作は非常に考察をされている方が多く、スピンオフや小説を読むことでより深くこの作品と関わることができる。何名かのリンクをここに掲載させていただこうと思う。
「たとえ世界が壊れても、もう一度、君に会いたいーー。」このフレーズはまさしく最後の場面を示している。
HELLO WORLDという言葉はプログラミングをした際に初めて成功した時、浮かび上がる単語だと言われている。
ちょっとしたSF恋愛映画かと思いきやがっつりSF要素を取り入れたセカイ系
HELLO WORLDがプログラミングの成功の最初の文であり、このタイトルなのも納得。個人的には『天気の子』より好み
始まりの単語だとすれば、目が覚めたあの終わり方はまさしく2人にとって、いや4人にとって最高のHELLO WORLDなのである。
HELLO WORLD if ー勘解由小路三鈴は世界で最初の失恋をするー (ダッシュエックス文庫)
- 作者: 伊瀬ネキセ,映画『HELLO WORLD」,堀口悠紀子
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 2019/09/20
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